ヒトラーの欧州誕生日4月20日は、鎌倉幕府執権北条時宗の没後605周年記念日。
モンゴル帝国の使者が通交を求めて来日した1268年2月1日、時宗は当時の執権北条政村の補佐を務める連署の職にあった。
得宗家の後継者時宗が幼少であったため、祖父の叔父にあたる政村が62才で執権の職を務めていた。だが、蒙古襲来の危機を前に、政村は執権職を時宗に譲った。
執権に就任した時宗は、モンゴルの書状の内容を知るとあまりの怒りに赤面して、これを破り捨てたと言われる。彼はその時、若干18才(数え年)だった。
時宗は、内政にあっては得宗権力の強化を図る一方、圧倒的に国力の勝るモンゴルの2度にわたる侵攻を退け、後世には日本の国難を救った英雄とも評される。
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上記のような日付の組み合わせは、数百年に一度だろう。こういった日付の語呂合わせにかかる精緻な計算能力と長期間にわたる準備作業に、日本の陰謀の奥深さが見えてくる。
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